ライトグレーのコンクリートブロックを毎日歩いています。
あるとき、気づきました。
植物がきれいに間隔をあけて伸びている。
コンクリートブロックの継ぎ目を重ねてみると、
どこかで見たような。
そうだ、棒グラフ !
2色の対比が上品でとても美しいです。
しかし、グラフがこの大きさになるまで、
全然、存在に気づきませんでした。
人に成果を認めてもらうためには、
積み重ねにより形ができてこないと
評価されないということでしょうか。
ひとつ、学びましたね。
ライトグレーのコンクリートブロックを毎日歩いています。
あるとき、気づきました。
植物がきれいに間隔をあけて伸びている。
コンクリートブロックの継ぎ目を重ねてみると、
どこかで見たような。
そうだ、棒グラフ !
2色の対比が上品でとても美しいです。
しかし、グラフがこの大きさになるまで、
全然、存在に気づきませんでした。
人に成果を認めてもらうためには、
積み重ねにより形ができてこないと
評価されないということでしょうか。
ひとつ、学びましたね。
この看板が日本で見られるようになって約半世紀。
いまでは町中にあふれている。
私の住む街では、
駅の出入口の向かい側に
この看板と店がある。
看板の緑と青には運営会社の想いが込められているらしい。
遠くへ出かけたとき、
「あぁ、うちへ帰ってきた」と
蘇る景色のひとつにこの看板がある。
もともと、お客とお店と会社の
家族的なお付き合いを意識し
つくられたものだそうだ。
長い時間とともにこの看板は
まさに「家族的な」の記憶になりつつある。
冷たく暗い地下にあるこの駅の中で
ひときわ目立つ黄色2色の表示板、
暖かく穏やかで、どこかやさしい感じすらする。
そう思いながら、
このエレベーターで地上にあがる。
気温、36℃。うっ。
そこには暑くまぶしい日差しがふりそそぐ
きびしい真夏の空があった。
日本では、
「暑さ寒さも彼岸まで」いう言葉がありますが、
この場合、
「涼しさ穏やかさは地下のみ」ですね。
この列車を運行する会社は、
一世紀以上もこの色を使い続けている。
この色に塗装された列車が走る街。
この色が伝えるイメージに、
人々の記憶が積み重なっていく。
その列車が走る街を
住まいの条件にする人もいるそうだ。
色をつかうとき、色を選ぶときは、
慎重によく考える。
そして一度決めたら、
大事に磨きながら、
ずっと長く使うことで
価値がどんどん高まっていく。
これは人間の場合も同じかもしれない。
あなたは自分を何色で表現しますか。
日本の大阪のとある電車の駅。
そのホームの待合のダークグレーの椅子に
それがあった。
今の世界地図ではない。
それは、50百万年後の世界大陸の姿だ。
誰が違うといえるのか。
遍界不曾蔵(henkaikatsutekakusazu)のたとえあり。
よく見える目を養うことは大切だ。
真実は見えないだけで、
自然のごとく、
私たちの身の回りに現れているものだから。
毎日、青空が続いています。
今日の空は、ひときわ青が濃いです。
雲もたくさん浮かんでます。
じっと見てると、
青空が口をあけた姿に、
雲が白髭と真っ白な歯に見えてきました。
前歯がよく見えます。
特に下側の前歯(中切歯)は真っ白ですね。
よく磨けていますよ、って感じです。
しかし、大きな口。
今にも、
あがぁーって声が聞こえてきそうです。
人間に一番近いのりもの。
人に自由を与えるもの。
たとえ真っ暗な闇の中でも、
光り輝く金の翼。
これさえあれば
どこへでも行ける。
自分の身体能力が、
一部分だけ拡張したような気がする。
一部分だけ。
あとはそのまま。そのままなのが大事。
風になれるなんていう人もいるけど。
実は風切音は結構うるさい。
それより、いつもの自分に。
翼が生えただけ。
そこがいいのです。
路面に描かれた、
1日限りのサイン。
今はもうない。
アスファルトグレーに
明るいめのオレンジ色で描かれた、
3.35×3.20 G442。
なぜか美しい。
ガス管のサイズか何かだろうが、
情報としてより、絵として見えた。
何もなくなった路面を見て、
見たときより、無くなった今の方が、
もう一度見たいと思った。
たぶん、芸術の本質は、
そういうところにあるのだろう。
な。
カフェのテーブルに
ペポカボチャを置いてみました。
鮮やかな黄色と緑に
白の縦じまが入り、
夏らしく爽やかな印象です。
カフェの雰囲気に
うまく溶け込んでいますよね。
カフェにペポカボチャ、
インテリアにいい組み合わせです。